私の食事史 Vol.2
Vol.1では群馬にいるときから東京での大学生活を始めたあたりまでの食事史を振り返った。
今、私は交換留学でタイにいる。間もなく帰国というこのたいみタイミングで、タイでの私の食事を振りかえってみる。
1.つくる人の変化
私の食事を作ってくれるのは、
屋台のおばちゃんおじちゃん
学食のおじちゃんおばちゃん
寮の食堂のおじちゃん
ざっとこんなところ。
一番の変化は、自分で作ることがなくなったということと、「屋台」という日本では経験しなかった新しい食事形態。外で安くて美味しい食事がとれる&部屋にキッチンがないため、自炊することは一切なくなった。
屋台のおじちゃんたちとタイ語でコミュニケーションがとれないから、屋台で食べるのには抵抗があった。
タイ語を勉強したり、タイ料理について知ったりしていくうちに、注文に困ることはなくなったし、屋台の店員と仲良くなったりもした。お気に入りのカオマンガイ屋のおばちゃんは私の名前も覚えていて、facebookの友達リクエストもきたくらいだ。
私が行く屋台はだいたい店員が2~4人くらいのところが多い。メインの作る人以外に、注文をとる人、料理を運ぶ人がいるのが通常。小さい屋台は、一人だけで全部やっているところも。共通してみられる特徴は、作る人との距離が近いということ。キッチンと席との間にはしきりがなく、客は作っている様子をすぐ近くに見ることができる。作る側も、誰がいつ来店し、どんな表情で食べて帰るのか、客の様子を見ることができる。
作る段階から間近で臭いを感じ、調理する音を聞き、美味しくいただく。「アロイ(美味しい)」「コップンカー(ありがとうございます)」というやり取りから、「なんでタイに来たの?」「いつ日本に帰るの?」といった話まで広がっていく。
こうしたやり取りがあるから、一人で訪れてもなんだかアットホーム感があるし、退屈しないのだ。
2.一緒に食べる人の変化
食事は基本的に一人が多い。あるいは、屋台や食堂で居合わせた友達と一緒に食べるくらい。一人でも、店員との距離の近さを感じることが多いから、あまり孤独を感じることはない。
屋台では、同じく一人で食べに来ている客と話すこともある。他の客との距離が近いというのも、屋台の特徴かと思う。テーブルごとのしきりもないし、「一つのテーブル=一組」という日本で一般的な形式ではないから、向かいに先客がいようとお構いなしに座る。
一人で入る気まずさみたいなのが全然ないのだ。日本では、その点ちょっとしきりが高かった気がする。一人用に席を与えられて、他の客とは完全にしきられた状態。一人に対して店員が丁寧な対応をしてくれるのだが、干渉はほとんどしない。それはそれでいいのだろうけれど、誰ともフランクなコミュニケーションのない外食は、孤独感を感じることが多かった。どんなにご飯が美味しくても。
3.食べる場所の変化
食べる場所は屋台か近くのハンバーガー屋さん。レストランにしても、外にオープンな作りのところが好きだった。幸いなことに、私の住んでいる周辺は、そういうレストランが多い。ちょっと歩けばカオサン通りがあり、その近くのバンランプー地区には小さな美味しいレストランがちょこちょこ並んでいる。
タイでの生活を通して得た大きな発見の一つは、「自分がいかに食べるという時間が好きか」ということ。
それは、単純に美味しい「食べ物」が好きというだけではなく、美味しいものを食べることを通じて人とつながる時間が好きなのだ。平凡な、あるいはすごく辛いことがあった日の中に、ちょっとでも楽しいと思える時間があるって大事なことだと思う。食べることって人間が毎日行う活動だ。その時間をちょっとでも彩りのあるものにできたら、なんだかんだ毎日彩りのある生活ができるんじゃないかと思う。
そういえば、小さい頃を振りかえってみても、どんなに嫌なことがあった日も、家で美味しいご飯を家族と食べるという時間が楽しかったから、「なんだかんだ今日もいい日だった」っていう感覚があった。学校でいじめられても、「家に帰れば美味しいご飯と家族がいる」っていう安心感と楽しみが毎日あったから割とへっちゃらだった。
それって昔は当たり前だったけど、恵まれてることだったんだなあと、今になって思う。仕事が忙しすぎて食事を抜かざるを得ないって人、精神的に追い詰められすぎて人と話すことすら嫌になってしまう人、美味しいものを食べたくてもお金がないから叶わない人…。食事という時間を楽しめてない人って、結構いるんだなあということを知った。
何が好き?って聞かれたときに、「食べることが好き」と答えるのは、今まで正直恥ずかしかった。「食べる」っていわゆる生理的欲求なわけで、それを「好き」っていうのってなんだか単純すぎというか、思慮が浅いというか。マズローの欲求5段階説でいったら、一番下の低次な欲求じゃん。もっと高次の欲求、「自己実現欲求」を持たなきゃ人間として恥ずかしい、とか思ってた。でも、自己実現欲求そのものを満たそうとしても、だめなのだ。生理的欲求である「食べること」や、社会的欲求である「人とつながる」ことなど、根幹にある欲求が満たされて初めて自己実現欲求も生まれてくるのだ。
根幹の欲求が満たされていない人って、世の中にはいっぱいいるんだろうな、と思うし、これからも増えていくような気がする。今後日本では単身世帯がますます増えていくといわれる。「コミュニティビジネス」という言葉を最近よく耳にするが、食事においてもコミュニティを作ることが必要とされてくるのではないかと感じる。
うーん。またやりたいことが増えてきそうだなあ…。
ここのカオマンガイはダントツで美味い。
0コメント