私の食事史 Vol.1
ほとんど毎日行う行為。かつ、いかようにも楽しみ方のアレンジが可能。
食事の時間でちょっとでも幸せを感じられれば、毎日必ずちょっとでも幸せを感じられる時間が確保できる。どんなに辛いことがあっても、食事という営みに喜びを感じられれば、「今日という一日も悪いことばかりじゃなかった」って思えるんじゃないだろうか。
辛くて、もう人生ヤダって思った日、美味いものに巡り合って「ああ、なんだかんだ今日も生きてて良かったのかも」って思えたりする。大げさかもれないけど、本当に。
そんなこんなで最近、「私にとって食事って実はとてつもなく重要なのかも」と感じる。というわけで、生まれてこの方、当たり前のように毎日続けてきたこの「食事」という営みを、振り返ってみようと思う。
私の食事史は、大きく分けて4つの時期に分けられる。
【4つの時期区分】
①グンマにいるとき
②東京1年目(浪人時代)
③大学生になって
④タイ留学(今。)
これらのターニングポイントが、私の食事にどんな変化をもたらしたのか?
今回の記事では、①~③を分析。④のタイ留学での食事は、別記事で取り上げる。
【3つの変化】
- つくる人の変化
- 一緒に食べる人の変化
- 食べる場所の変化
【1.つくる人の変化】
時期①
グンマにいるときは、ほとんど母親の手料理。高校生になって学校給食というものがなくなり、コンビニや校内のパン販売を利用する友達もいる中、私は毎日母親の作ったお弁当だった。毎朝私たち家族が起きだす頃にはお弁当ができていて、弁当箱に入れなかった分のおかずを朝ごはんに食べた。
祖母のお裾分けもよく食べた。母方の祖母は長年厨房に立っていただけあって、料理へのこだわりは半端じゃない。新潟の親戚から送られてくるアジを使ったフライが私の好物で、よく作ってくれた。父方の祖母は、赤飯とこんにゃくをよく作ってくれた。でっかい窯で作った炊き立ての赤飯。うまいんだよなあ。
時期②
東京に来て1年目は、浪人生として家と予備校を行き来する毎日だった。お弁当の名残か、最初1、2か月は簡単なおかずやサンドイッチを作って持って行っていた。しかし受験勉強のことで頭がいっぱいになり、食事という営みが徐々に私の頭からはじきだされていった。朝はたばこ臭いファミレスでまずいコーヒーを飲みながら勉強。予備校に行く途中でセブンによって朝ごはんのおにぎりを購入。昼休憩は午前中の授業の復習にあてるため、食事をぬいた。夜は家に食料があれば家で、なくてスーパーで買い物するエネルギーも残っていない時は近くのモスバーガーで済ませた。
たまに母親が東京に来る際、手料理を持ってきてくれた。祖母のアジフライもついてくることもあった。野菜が足りないだろうから、といって、祖父が育てたトマトやキュウリをもらうこともあった。
時期③
大学生になって受験勉強から解放されると、食事を楽しむ余裕が生まれた。国立の美味しいカフェやパン屋を巡ったり、ちょっと凝った料理に(たまーに)チャレンジしてみたり。
バイト帰りの疲れてるときは、遅くまでやっているラーメン屋や中華料理屋、カレー屋に立ち寄ることが多くなった。これまで無意識ではあったが、作っている人の顔が見える店に入ることが多い。そういえば、一人で入るときは特に、調理場に面したカウンター席を選ぶ。注文して待っている間に作っている様子を眺めている。ラーメン屋だったら、ダシを何でとっているかとか、麺の水を切る手さばきとか、ネギとチャーシューの盛り付ける様子とかを、じーっと見ている。
【2.一緒に食べる人の変化】
時期①
一人で食べるということがあまりなかった。朝は、特に家族揃って食べるというルールはなかったものの、だいたい食卓には誰かしら自分以外の人間がいた。お弁当がハムカツや肉巻きの日は、その余りものを妹たちと取り合う戦いが繰り広げられた。
時期②
浪人時代の食事は、基本的にいつも一人だった。生活の中での食事の存在感があまりにも薄れすぎていたから、自分自身が食事をとる意識が低いから、他人と食事というものを共有しようとか、食事を通して他人とつながろうとか、そういう次元に達していなかった。
時期③
浪人時代よりも人と一緒に食べることが増えた。大学の友人、バイト仲間、学生記者仲間などなど。私が日頃から美味いもの好きな様子を醸し出しているからか、おすすめの店に連れて行ってくれる人も結構いる。ありがたやありがたや。
【3.食べる場所の変化】
時期①
食べる場所は、ほとんど家と学校。学校帰りにコンビニやマックがグンマにもないわけではない、もちろん。しかし、家に帰れば母親の美味しいご飯が待っている。となると「さっさと帰ろう」という発想しか生まれず、その日のごはんを予想しながらただただ自転車を全速力でこいで帰るのだ。
時期②
ファミレス、モスバーガー、道、家、たまに予備校。「道」というのは、予備校に行く途中コンビニで買ったおにぎりを歩きながら食べるということ。食事をするために一定の時間どこかにとどまる、ということがほとんどなかった。今はこんなに好きな、食事という営みを、あの頃なぜあそこまで犠牲にできたのだろう。いや、犠牲にというより、そもそも「食事=楽しいもの・好きなもの」という認識を持ったことがなかったのかもしれない。
時期③
家、学食、国立のカフェ、ラーメン屋、中華料理屋、カレー屋などなど。ちょっと遠出をして気になる店を訪れることも。そう、食事というものの楽しさを知ってしまったのは、大学生になってからだ。一人暮らしは嫌いな訳ではないが、私は食事の楽しみを人と共有することが好きだ。友達と一緒に行くのももちろん楽しいが、一人で行ったとしても共有は可能。例えばラーメン屋。バイト帰りによく一人で行ったが、同じように一人で来ているサラリーマンたちが周りに座っている。彼らと共に「ずずーッ」とラーメンをすすっていると、ラーメンの美味しさと、「今日も一日おつかれさま、自分!」って気持ちと、「明日もがんばれるぜ!」って気持ちをなんだか共有している感覚になる。たとえ言葉を交わさなくとも。
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